どんなときに誰がどう傷つくのか、わたしは根本では何もわかっていないのかもしれない。経験、小説、アニメ、漫画、Twitterそこらかしこからあらゆるパターンを拾ってきて勉強している感じがある。

小さい頃、私は喋ると嫌なことしか喋らないから黙っていた方がいいんだと思っていた時期があった。小学生のとき、馬が合わない近所に住んでる子とほぼ毎日のように遊んでいた。その子が家から小さい牛乳パックを人数分持ってきてくれたんだけど、私は牛乳が苦手だったので「牛乳好きじゃない」と言ってしまい、その子に「せっかく持ってきてあげたのに失礼ね~」と言われて(もう本当のことを言うのはやめよう)と思った。伝え方が下手だった。

どんなときに笑っていいかもわからないことの一つで、私は喋る代わりに笑ってごまかす子どもだったので、笑い上戸だと言われた。そのうち地頭の良い冷静な男子たちに勘付かれて蔑まれるようになった。

衝動的に笑いを抑えられないときもあった。教室で誰かが怒られているときに笑ってしまったことがあった。私の笑い声が響いて、頭ではだめだってわかってるから「ヒヒッ」みたいな変な声で、恥ずかしいし人として駄目で死にたかった。
怒られたのか涙目で教室に入ってきた部活の先輩を見て笑いそうになったこともある。

それから授業中はできるだけ無表情で、あまり笑わないように心がけていた。そして誰かの反応を見てから同調するように反応した。だから教室で「当てはまる人は手をあげなさい」が苦手だった、私は目が悪くて一番前の席だったから。

有川浩の小説はそういう意味ではすごく勉強になった。同時に「わからない」「私も非難される側の人間では」と思うことがたくさんあって読むの止めてしまった。

私は非難される側の人間では、といつかバレて非難されるのではと思いながらいい子のグループに潜伏する卑怯者だ、今も。