Zガンダム

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(事実誤認があったらすみません。)

主人公の描かれ方

ファーストガンダムよりも主人公が良い意味でヘタレに寄っていると思った。どんどんシンジ君(エヴァ)に近づいている。

ファーストでは「二度もぶったな!」「父さんにもぶたれたことないのに!」、そしてΖ「怖いんです。怒鳴る人は。」「一方的に殴られる、痛さと怖さを教えてやろうか!」と言える主人公は、もしかするとこの時代の男性たちを救ったのではないのかという仮説を私は立てている。

ファーストガンダムの放送が1979年、Ζの放送が1985年。
この時代の実社会に、果たして"女々しい"男性が受け入れられるだけの土壌があったと言えるだろうか?

しかし、Ζの主人公には矛盾もある。
自分の名前を「女みたい」と揶揄されると、ガンダムを奪い取り生身の人間に復讐しようとする。結局暴力という男性社会のルールの中で解決しようとしているし、機械VS生身の人間なんてもってのほか。いわゆる"男らしさ"はまだまだプライドの一部なんだなあと思わされるシーンである。

女性の描かれ方

女性の描かれ方に関しては、ファーストよりも酷くなっていると感じた。*1

1.ファに対するカミーユの態度
主人公カミーユの幼なじみであるファ。カミーユが両親を亡くしてからは、ただ一人の家族のような存在になる。二人の年齢は当時17歳ぐらい。
カミーユはファだけにはギャンギャン吠えまくる。甘えられる相手がファだけだということはあるが、同じ内容をクワトロ大尉(上司)には言えないところがひどい。負けず劣らずファも反論するのが救いだが、「またリクリエーションか?」と静観するだけの周りの大人、どうにかしてほしい。

2.ファに求められている女性像
主人公たちが乗る戦艦には、ファーストと同様、数人の幼児がいる。その子どもの世話をするのは、ファーストではフラウ・ボゥ、Ζではファである。*2
フラウ・ボゥは途中から通信士として戦闘に参加する。その間子どもたちは操縦室には入れないようになっていた(はず)。
それに対してファは途中からモビルスーツパイロットになる。ヒロインが戦地に出て直接戦えるようになったことは、ファーストからの進化と言えるかもしれない。
しかし問題なのは、ファ以外に子どもを見る人が一人もいないことである。(強いて言えば医者役の人?)
キャプテンのブライト・ノアは2回「ここは託児所ではない!」と叫ぶ。
1度目はガンダムの整備室に子どもが入ってきてしまい、カミーユとファとブライトの作戦会議が中断されたとき。
2度目は戦闘中、操縦室に子どもが入ってきてしまったときである。
確かに戦艦に子どもが乗っているのはおかしいが、ファだって戦闘に出るしそのための準備も必要なのだから、他に子どもの面倒を見る人を配置しないキャプテンが悪いのでは?(そもそも幼児を戦艦に乗せた人にも問題はあるが)
ただ、登場する味方の女性は全てパイロットであること、ファはパイロットの中では一番年下で経験も浅いことから、この時代の限界とも言えるのかもしれない。でも戦闘中くらい、だれか見てるべきじゃない?
仕事も育児もしなければならないのは、いつの時代も女性だけなんて悲しすぎる。*3

3.強化人間は全員女性
ニュータイプ*4に対抗するために作られたのが、強化人間である。電波のようなものをオールドタイプ(普通の人間)に浴びせ、軍の思い通りに動ける人間を作った。
強化人間は主人公の敵陣営(ティターンズ)にしかいない。そして見たところ全員女性で、男性の技術者に行動や思考を操作される。
人工的に人間を操る時点で人権がない。ましてや自分の意思に関わらず、人殺しの道具にされるのだ。
カミーユだけは、強化人間に対して親近感を持ち、一瞬だが心を通じ合わせる描写がある。
しかしカミーユの心中では、強化人間の女性への恋愛感情(兄妹愛)と、人間として助け出したいという気持ちとが混ざりあっている。
結局恋愛関係にならなければ救えないのだろうか?女性は男性に救ってもらうしかないのだろうか?

4.レコア少尉をはじめとする女性の葛藤
レコア少尉は作品終盤でとても情緒不安定になる。自室の大量の観葉植物を全部処分してみたり、クワトロ・バジーナと仲良くしてみたり。結局「エゥーゴには強い男がいなかった」と言ってティターンズに寝返ってしまう。
思えば敵方に寝返るのは全員女性。エマさん、レコアさん、ハマーン様。寝返るほどの激情を抱えているのは女性ということなのか?

そしてファとレコアは対照的だと思う。ファは"早く一人前のパイロットとして認めてほしい"と一人間として認めてもらうことを願っている。レコアは仕事ができる分、回りからも認められているが、"私を女性として見てくれる人は誰もいない"と思っている。
レコア少尉の描かれ方は、女性パイロットを一人前のパイロットとして描いてるからこその表現なのか?人間として、仕事仲間としてではなく、プライベートとして見てほしいということか?私には少し衝撃だった。そして今もうまく消化できていない。

Ζのテーマ

私はこの作品のテーマは「敵は本当に敵なのか?」ということだと思う。
その理由の一つは、前述した寝返りがあること。寝返りを装ったスパイ行為もある。本当にこいつは寝返ったのか?なぜ?という疑いをどうやって晴らして仲間になるのか。
二つ目は、カミーユと強化人間の心の通い合いがあること。フォウやロザミィがそれに当たる。*5強化人間として操作されていないときは穏やかに話ができて心が通じ合うのに、操作されると敵になってしまう。しかしカミーユは、操作された相手に攻撃されても、和解の道はないのか最後まで探る。これはカミーユと強化人間の一対一の関係だけではなくて、他の味方or敵陣営の人間とも和解できないのか?という疑問に通じると思う。
三つ目は、アムロとシャアの関係。ファーストでは敵同士だった二人が、同じ戦艦に乗って穏やかにコーヒーを飲んでいる…!時代と情勢が違うだけでこうも違うのか…と思った。時と場が異なれば、敵は見方になることもある。微かな希望(もしくは絶望)を感じさせてくれるストーリーだと思う。このグレーな感じを許せないのがカツ。悪者は悪者だろ!?という主張。でも「大人の掟」でも「自由を手にした僕らはグレー」と歌われているので、大人はそんなものかもしれない。

*1:ファーストを初めて見たとき、女性パイロットがいることや、女性が戦艦を操縦していることなどに私は衝撃を受け、"全然古くない、むしろ新しいアニメだ!"と思ったことが大きいかもしれない。その衝撃に比べるとΖはファーストのまま、もしくは退化しているように見えてしまった。私の期待値が高すぎた。

*2:共に主人公の幼なじみで、主人公に淡い恋心のようなものを抱いているものの、気付いてもらえない。むしろケンカのような言い争いをしていることが多い。主人公はヒロインの言葉をあまりまともに受け取ろうとしていないように見える。

*3:ただファーストの場合、主要登場人物たちも"子ども"であるため、幼児たちとの境があまり無かったのかもしれない。そして主要人物が"大人と同じかそれ以上に能力を発揮する子ども"であるという設定により、子どもと大人の線引きが排除されているように感じた。しかしΖは、子どものカミーユが大人のルール(軍隊の規律)に合わせることを強いられる話のようにも見える。

*4:離れていても仲間の危機が分かったり、本来見えるはずのない後ろからの攻撃に素早く反応できたりする、新しい人種

*5:強化人間ではないが、シロッコに盲目的なサラも該当するかもしれない。