NHKドラマ「平成細雪」

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昨年は、古典作品の時代設定を平成に持ってきてドラマ化する企画が多かった。平成が終わりに近づいているからだろう。

実写化において、原作を知る者が一番重きを置く点は、原作へのリスペクトがあるのかどうかということだと思う。画面に半透明の紙を一枚被せて見せられているみたいに、ずっともやもやした気持ちを抱えながら注視することになる。

私もその気持ちで最後までこの作品を見たけれど、最後の最後で落ちました。いい作品だと思いました。


まずキャスティングが絶妙。特に啓坊と妙子。
福士誠治が眼鏡かけて片側髪剃るとあんな品良くうさんくさくなるんか、天才的だと思う。
そして妙子がどこからどうみても妙子。女優さんの名前を二度見した。いい意味で私の知ってる中村ゆりではなかった。ぱっつんストレートがはちゃめちゃに似合う。
井谷さんも井谷さんそのものだった、好き。

時代は平成ということで、原作の"戦争に向かう時局(とその最中)"を"バブル崩壊後の日本"に置き換えたのはなるほどと思った。それでうまくいったとこもあるし、残念なとこもあった。

なんせバブル崩壊後なので、原作のような栄華の名残はあまりない。大きいお屋敷に住んでいて、お手伝いさんがいるくらい?
着物を着るシーンもあったけど、原作ほど頻繁ではない。もう少しいろいろ見たかった。
啓坊が車を持っているのはよかった。現代でステータスを表すとしたら、目に見えるものは車とアクセサリーぐらいかも。
雪子のお見合い会場になる料亭は、名前入りでたくさんでてきてびっくりした。ただ私自身が関西には馴染みがないので、的確なのかは不明。

あと冒頭の「B足らん」のびーが明らかにチョコラBBで吹いてしまった。確かに病気でもないのに自分に注射することは無いもんね。原作ではそれが一種のステータスでもあったけど。*1でも錠剤のサプリメントに置き換えるとか、薬に寄せた方が深刻感あるのにと思ってしまった。

深刻さで言うと、モチーフの一つひとつが小さくなってしまっていると思った。
先述の栄華を象徴するものが少ないこともそう。水害も生命の危機では無かった。腸カタルにはかからないし。幸子の流産も描かれない。

でもその分、登場人物の発言が厳しいものになっている。
私は原作の『細雪』を"腹に据えかねているものがあっても、それを本人に言えない人たちの話"だと思っている。自分で後始末をつけられない人の話。
直接姉妹が言い争う場面は数ヶ所しかないし、ましてや「アンタはこの家の疫病神や!」なんて核心ついたことは言えない。なぜなら家族であり、情があるから、という考え方。血縁による結び付きの強さがテーマだと思う。

それに対してこのドラマでは、当事者たちが直接会話をして始末をつけるという方法が取られている。啓坊と板倉と妙子。鶴子と妙子。幸子と妙子。(雪子と妙子は原作よりも仲良しだ。)
原作の"あったかもしれないけれど読者からは見えないシーン(地の文で説明されるだけ)"を映像化してるのは分かりやすくてよかったと思う。

直接の対話のせいか、雪子ちゃんもよく喋る。
まあ、平成五年の時点で電話が苦手で本当に取り繕えない人がどれだけいたかは分からない。けど原作の雪子ちゃんは家族以外とは本当に全くと言っていいほど喋れなかった。あの雪子ちゃんは生きる時代が違っても、喋れないんじゃないかなあと勝手に思っている。(雪子が大好きなので)
だから元お見合い相手やお見合い相手の娘と二人きりで話すことができるのは、平成だからかもしれないけれど、私は不満だった。

平成には、原作のようなお嬢様なんてもういなくて、自由恋愛どころか"結婚しない自由"が叫ばれる時代。(私は大賛成)
舞台を新しい時代に移したことで、それぞれが言いたいことをはっきり言ってケンカできるようになったのかもしれない。
より胸くそ悪いお話になってます。

ちなみにその頃青春してるのはいまの40-50代?
ずっと気になってたんだけど、「やっぱ好きやねん」はその層には受けるのか?

このドラマを見始めた頃は、平成初頭に青春時代を過ごした人のためのドラマなのかと思ったけれど、最後まで見るとそうでもない気がする。
世間に自分をうまく合わせられないし、合わせたくもなくて時代に抗って、それでも幸せになろうと一生懸命生きてる人たちのお話でした。

*1:自宅に薬をたくさん常備していて、いざというとき珍しい薬の譲渡を交換条件に交渉する場面がある。ただ、原作の医師の頼りなさや非科学性については指摘されている。